小林和作>エピソード
人生にもかくのごとき高波がある。
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小林和作 昭和12年 5月16日妻・マサが結核で亡くなる。38歳の若さだった。
和作の随筆に人生と波を対比した文章がある。→本ホームページ「人生観」参照

「東尋坊」
「東尋坊」(図録より転載)

秋、宮崎県日南海岸を旅行し、翌年第八回独立展出品作の一つ「東尋坊」は妻を失った和作の悲しさが率直に現れているといわれる。和作の絵にしては珍しく色彩が単調で、基調になった茶色がハッとするほど沈んでいる。海面は悲しみをたたえて深くよどみ、和作の海の絵に独特な"荒ぶる魂"といったものが感じられない。安山岩から成り立つ石柱に向って波が砕け散る東尋坊の印象からすると、ここに描かれた東尋坊は、喪に服したように静かに悲しみの色をたたえて沈黙している。和作の風景画の全てが自然の中に「美」を求め、「美」を見つめる喜びを表明しているとすれば、この『東尋坊風景』は明らかに異質の絵と言えるだろう。ここに支配しているのは沈痛な悲しみの感情である。(評伝161)

亡き妻マサへの思い:
私の最初の妻は私と20年余添って38歳で病死した。私も不良亭主で妻に心配ばかりかけ、妻がまことに良妻であるにもかかわらず、生前にはほとんど有難いとも思わなかった・・・しかし年月とともに亡き妻への愛惜の念は深まる。これは不思議なほどである・・・・もし妻が世界中のどこかの果てに生きているということになれば命を賭しても尋ねて行くであろうことは確かである。夢に死んだ妻を見ることがあれば必ず私は泣いている・・・私は絵の仕事が未完成だからもっと長く生きたいが、やむを得ず不図死ぬことがあっても、死んだ妻が待っている墓の中へ入るのだから、悪くないと思っている。(評伝158・「不良亭主の家庭では」より)
マサの死は、和作にとっては「ほんの2、3年の仮の宿」と思っていた尾道に定住することを決心させる。

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