小林和作>エピソード
洋画への転向期
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小林和作 大正7年 郷里の医師臼井隆助の四女マサと結婚。
マサ夫人は妖艶な美人だったようでヌード写真も残っているらしい。
「華頂画院」近くの吉田牛ノ宮町七に住む。
そこから「華頂画院」に通い、制作に専念し、毎年文展に出品したが、落選が続く。
この頃より油絵に親しみを感じはじめ習作「洛北ノ雪(01−523)」を描いた。
(※裏面に和作直筆で、自分の最古の油絵と記載)
01−523「洛北ノ雪」   裏面の文字アップ
01−523「洛北ノ雪」    裏面の文字アップ

大正9年 春、洋画家鹿子木孟郎の画塾に入門し、初歩の木炭素描から学ぶ。
同塾で、林重義、北脇昇を知る。
塾へ行かない日は「華頂画院」で日本画の制作にはげんでいたが、気持ちはすでに油彩へ傾いていた。「桃山梅林(01−525)」、「洛北ノ雪(01−523)
12月14日長男康男が生まれた。
01−525「桃山梅林」

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