小林和作>エピソード
暴君だったのか小林和作は
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小林和作
小林和作 画像
(図録より転載)
和作は暴君であったが、はたから見ると、それも愛情表現の一つであるように見えた。
敏子と養女は、和作が家長として威厳を保つために吐く暴言を本心とは受け取らず、子供じみた極端さに微笑ましさすら感じていたようで、二人は気にもしていなかった。(和作水彩175・「和作追憶」より)


知人や家族から見た和作エピソード
(1)「画伯は、愛情の表現が独特で、可愛い人には特にきびしく当るところが見られます。時にはことさら人前で、耳を被いたいほどひどいことを夫人に対して言われますが、腹の中は案外それほどでもないようです」(評伝168・小野鉄之助の言葉)
(2)広島の療養所にいたとき、手紙をくださりました。「自分も子供のころ体が弱く、疲れやすくよく昼寝をしていたがそれで元気になった。療養所のようなところでは元気になれないから、尾道の自分の家にきて、気ままにしてたほうが治るだろう」と、愛情が身に沁みました。
(3)「小学校の頃から和作が引き取ってずっと面倒をみてきた姪の小夜ちゃん。ある日和作をかんかんに怒らせるようなことをやりました。その罰が実に奇抜です。頭の上にたらいをのせて、長江通りを歩かせ、時折「おう」と言って、物売りのような声を出させたというのです。「おう」という声がないと、足でけったそうです。」
(4)「人の好き嫌いは激しい方だった。子供みたいなところがある。嫌いな人間が訪ねてくると平気で居留守をつかい、そこへ友人が訪ねてくるとニコニコと姿を現す。片棒をかつがされた夫人はずいぶん恥ずかしい思いをしたという。」
(5)あるとき、夫人と新幹線に乗り、名古屋にさしかかると「体を伏せるんだ」といきなり和作が夫人に命じた。名古屋には姪の小夜子が結婚して住んでいた。「万一小夜子が見ていて、寄ってくれなかったと知ったら寂しがるじゃないか」と。二人は名古屋を通過するまで座席の上へ体を伏せていた。(評伝221・新幹線)
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