小林和作>エピソード
尾道の景色は寳玉である
小林和作自筆
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小林和作  私は、昭和九年、東京から尾道へ移って来たものだが、その時、尾道を撰んだのは、尾道が古い町で、いろいろな古い建物があり、且つ、尾道の海は、日本全体でも、最も景色の美しい多島海であるので、それらを繪にする事が目的であったのである。
 この私の目標は確實に的中して、尾道や附近の風土や景色は、研究すればする程に美しい。そこで私は、ここに喜んで永住し、又、生ある限りこの一帯の景色を写生して、それに依って繪を作る事を表しつづけて居る。
 私は、尾道の山と海の景色は、尾道側に、千光寺山、西国寺山、浄土寺山の構成の美しい三つの山があり、その山の中や、山麓には、美しい建物が多く、又、細長い尾道の海を隔て、向島があり、この島も亦、美しく、近年は尾道大橋が出来て、向島が発達して、ますます美しくなりつつあり、そこで私は、尾道はその一帯の景色は海岸としては、日本一である、と自慢しつつある。
 しかし、この一帯の住民諸氏は、別に日本の海岸の全体を歩いて見盡くしたわけではないから、尾道の美しさの大体はわかっても、私のようにこの景色を心醉して、日夜、眺めつつあるものの心境は十分には、わかって貰へぬらしいので、その辺も、私は時々遺憾に思ひつつあるのである。
 私は、若い頃には日本画をかき、三十歳代からは油繪をかいて来たが、しかし、いつの時代も風景画家であったので、日本全国の隅々は勿論、欧州の景色まで大体は見て知っているので、その目で見て、尾道とその一帯は、寳玉を彫琢して造った寳島のように見へる。私の任務は、この寳島の尾道を繪にし、又、文章にかき、その美しさ導うとさを宣傅し盡す事にある。
 この一文も、そのためにかくのだが、以後も、生ある限り、いろいろにかいて宣傅したいと思っている。
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