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服装はどうでもよい
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小林和作  私は衣食住でむやみにぜいたくぶったり、新味を追っかけすぎるのは嫌いである。自己の境遇に合わして気楽に暮らすのがもっともよかろうと思う。
 私は絵かきだから、家はやや広い方がよいが、衣食のことは至って無造作である。大体どうでもよい。衣は尾道にいるときも粗服であるが、人とは反対に旅行するときにはなおさら粗服で出かける。私は宿屋へ泊まっても粗服であるが恥ずかしいと思うほど気の弱い方ではない。風景画家だから深山も荒海の浜も一人で歩くことが多い。その時に、目立つ服装をしていて金でもありそうに見えて悪者にもねらわれては困るというのが私の粗服主義の原因だが、年をとって不精さも進行しつつあるのだろう。
 私は家内にも粗服主義を強いて一向に高い着物を買ってやらぬので、家内はひどく不平である。時には、「一枚も着物を買ってくれたことがない」などと極端な表現で訴えることもある。そんなときには私は「お前など何を着てもよいのだ。一身同体ということもあるからね。」などという。
 家内は「ほかのときは勝手なことばかりして、着物のときだけ一身同体を強いられては困る」という。私はこんなことを言う家内をあまり賢くないように思う。
 私といえども、京阪などへ行って立派な宴席などに招かれたときには、山野を歩くきに適する服装のままではどうも困ると思うこともある。しかし服装を二様に用意して行くほどの紳士的精神は私にはない。旅は荷物が少ないのが最もよいからである。
 食の方も簡素である。私は酒は一盃も飲まない。私の父も弟どもも大酒飲みで酒に命を取られたようなものだが、私はどうしたものか酒の味がわからぬ。「酒よりも水の方がよい」などと思う方だから飲んでも仕方がない。
 それから料理も手の込んだものは好きでない。原料のまま扱ったものの方が有難い。私は家の者が料理の講習会へ行きたがるのをいつも一応は反対する。「原料をいじめてつつき崩すのが新しい料理法である」というような迷信を持って帰り、そんなものを家庭で実施されては困るのである。私は偏食の習慣はない。出されたものはたいてい何でも食う。つまり食物にあまり注意しないのである。私からみれば食道楽で「何はうまい、何はきらいだ」などと大袈裟にいう連中は、何だかなり上り者のような気がして感心できぬのである。
 かかる粗野な趣味にだんだん陥りつつある私のいうことだから、あまり本気に聞いてもらっても困るが、近頃の世の流行なるものはどうも本末転倒したものが多いようである。
 婦人は人の世の花であるから、いろいろ工夫して美しくなってくれるのは結構であるが、心がけがあまりこせこせしているようなものも多く見受ける。服装などは徐々に変化して行くのはよいが、いまのようにデザイナーなどが無闇に活躍したり、流行雑誌が大いに売れたりするのはどうかと思う。私は年寄りのくせに、いまでも婦人の美しさにはなかなか興味を持つ方だが、若いときから女に惚れるのに、相手の服装によって動かされたことは一度もない。まず顔である。これに八割支配される。次は姿勢である。これには二割方支配される。あとはないのだから私にはその人の服装などどうでもよいのである。
 私は科学者のするように、婦人を冷静に分析している。「服装が何点で、化粧が何点で、平均点がいくらだからこの婦人に惚れねばならぬ」などと考える男子はあるまいと思う。恋愛は多くは一瞬間の一目惚れに始まって、それから発展するものである。一目惚れの要素の中では服装などは殆ど威力を発揮していない。
 恋愛を求めてうろつく男子は世に充満している。婦人は外出でもすると、直ちにこれらの亡者どもの視野に入り、一瞬間に及第したり落第したりするのである。大部分は落第して看過されるから世の中は泰平である。婦人がこの辺のことを了解して、一瞬間の批判に及第すべく努力するのは結構であるが、批判の対象はどこまでも顔と姿勢である。それを忘れて服装などに過度の神経を使うにはおよばないのである。立派な服装が勝つと定まれば貧家の娘はとうてい富家の娘にはおよばぬわけである。しかし世にはこの逆の場合も大いにある。シンデレラ物語などもその一例である。
 私は婦人の真の賢明さと健康とで顔と姿勢を輝かすべきで、その他は末の末であると思う。あらゆる男子は婦人の美を批判する力を生来持っている。私のところへでも「絵の見方がわからぬから教えてくれ」といってくる人は多いが、「美人の見方がわからぬから」と相談に来たのはまだ一人もない。
 恋愛は人生の第一義だから、人は他人の力を借りずとも生来の能力で判定して悔いないのである。世の中がどう進歩してもこの点だけはあくまでも原始的である。そこで世の婦人は知恵とか顔とか姿勢とか持って生まれたもの本位で行き、貧富の差や余剰の時間の有無などに支配され勝ちの服装や化粧にあまり多く心を使って奔命に疲れるにはおよぶまいと思う。
(昭和三十年)
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