森谷南人子>エピソード
自園産野菜、友人からの到来物、南人子の描いた生活
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森谷南人子 昭和18年、19年、20年は果物や魚介類や生物・植物などのスケッチばかりである。
18年に日本美術及び工芸統制協会が創立され、ここが絵具・キャンパスなどの配給権を握った。戦争画を描かない画家に対しての資材の供給はほとんど無くなった。
昭和19年 9月情報局が美術展覧会取扱要綱を発表し公募展を禁止した。
03−013 03−037
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03−067 03−083
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03−061 03−014
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03−029 03−030、031
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03−033 03−015
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03−018
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この年のスケッチの「小林和作より到来・9月12日マスカット(03−124)」が描かれている。
この頃、知人の間で、果物などの届け物をしていたようだが、和作が持ってきたぶどうを見て、和作がよそに届けたぶどうよりも自分に持ってきたぶどうが小さいと怒った。
という人間臭いエピソードも残っている。
03−124「小林和作より到来・9月12日マスカット」 03−124「小林和作より到来・9月12日マスカット」
03−124「小林和作より到来・9月12日マスカット」

その他7月19日(写生中空襲警報発令の文字が残る(03−049)
03−049 03−049
03−049

昭和20年「栗の葉(03−037)」、「しいたけ(03−038)」、「ざくろ(03−040)」など。終戦後すぐの秋に南人子が身近な果物のみを静かに描いているとき、和作は戦後初の写生旅行に出掛け、「秋(01−497)」を残している。
03−038「しいたけ」 03−040「ざくろ」
03−038「しいたけ」 03−040「ざくろ」

そこでも動的な和作と静的な南人子の対照的な二人が見え隠れする。果物、到来物、自園産野菜などを昭和5年から23年頃まで、まるで日記のように書き付けている。
紙には困窮していたのであろうか、薄紙を貼り合わせ、あるものは商店の帳簿などで裏打ちしていたりと面白い発見がある。また、十数名の人が南人子に届け物を持ってきているようだ。到来物によっては豪華なものを持ってくる人もあり、到来物によって相手の顔が見えるようで興味深い。例として(昭和19年9月12日(03−124))には小林和作より到来のマスカットが描かれている。(昭和21年8月22日(03−086))雄児持参、スイカが描かれている。森谷雄児氏は南人子の親戚にあたる人で笠岡在住。(ある学芸員より)(03−119)には二つのスイカが描かれているが、スイカ百匁九円、六拾弐円也。値段まで書かれていて、南人子はかなり生活密着型の細かい人だったのではなかろうか。

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