森谷南人子>エピソード
戦争・・・筆を折ろうとした南人子
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森谷南人子 昭和17年 「栗原升屋雲雀啼く(03−126)」3月下旬。
「三成横尾(03−127)」4月上旬。両方とも田園風景。
「川迫村字蔵迫軍神上田兵曹生家(03−093)」裏面が貼り付け紙。

03−126「栗原升屋雲雀啼く」 03−127「三成横尾」
03−126「栗原升屋雲雀啼く」 03−127「三成横尾」
03−093「川迫村字蔵迫軍神上田兵曹生家」 森谷南人子 画像
03−093「川迫村字蔵迫軍神上田兵曹生家」

南人子の文献には残ってないことであるが、南人子は戦前は大作を国展などの日本画壇に出品しつづけたにも関わらず、戦後は一切出品していない。
戦争中に戦争画を描いてしまったことで自分が許せなくなり、画家としての筆を折ろうと思った。それが理由で戦後ぱったり大作を描かなったのかもしれない。
そして全国的な画壇には忘れさられた存在になってしまった。
昭和17年、敢えて軍神の生家を描いていることは彼が戦争画を描いたことの裏付けになるのではないか。
この絵を作品に仕立てたとき、家の前に大きな日の丸を掲げた絵に仕上げている。
この絵の道端の草花などの描写は植物図鑑のように緻密に描いている。
空の雲の描き方が横一列ではなく、光を含んでいるような水彩の色調がある。まぶしいような色だ・・・
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