森谷南人子>エピソード
心の幸せを求めて・・・画業の開花
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森谷南人子 大正15年 3月第五回国展「冬の里」が入選。
同月国画創作協会の会友に推挙される。

「冬の里」
「冬の里」(図録より転載)

シンメトリーな表現で一番夢多き穏やかな表現になった力作である。
多くの作家は人物を描かない時期でもありましたが、この時期から南人子の絵に人物が登場してきている。その表現はとても穏やかで、父を亡くした切なさから尾道がそうさせたのではないかとも思わせる。


父がなくなり初めて絵を描く・・・・の一節の画像
03−310
03−310

スケッチ帖とは その作家の心を表す日記そのものです。
03−200
03−200

大正15年秋に描かれたスケッチ帖(2)の表紙には
「木門田の秋 則末の秋 山羊 いも掘人物。
第六回国展用」と書かれている。


スケッチ帖(2)−4(03−204から208)まで連続して、
山羊や馬など、家畜のさまざまな動きに注目したデッサンが数多くある。

03−204 03−205
03−204 03−205
03−206 03−207
03−206 03−207
03−208  
03−208  


11月11日とある記載されたそのページには、
静子夫人をモデルにした農婦姿のデッサンあり、その動きが後に描かれる農家の人々の基本の形に成って行くのではないだろうか。
(03−213から214まで)人のポートレートもある。
→本ホームページ「南人子のスケッチが語りかける彼の心情」参照


03−217
03−217
(吉田真一さん(03−217))このようなタッチのポートレートは初めてである。
この男性の穏やかでくつろいだ様子から南人子の近い関係の人だったのではないかと想像される。頬や耳や唇、掌にピンクを使い、人肌の温かさが感じられる。
またその構図は、ミレーが描き、ゴッホが模写したある絵に非常に似ているのは何か予感をしてしまう。


このスケッチ帖(2)には昭和3年8月30日夕刻の夕焼けの絵がある。
夕焼けの色を色えんぴつのみで描写している。
(03−218、219)(03−223)に則末風景。(03−224)木門田風景。(03−231)則末風景。


03−218 03−219
03−218 03−219
03−223 03−224
03−223 03−224
03−231  
03−231  

(03−228、229)はたきかけをする女性の動作デッサンとともに数珠のアップの絵がある。しばらく眺めていると何故かそのモデルが静子婦人に見えて仕方ない。
まるで二人の会話が聞こえてきそうだ。
そこに非常に薄く描かれた数珠の珠の数を調べた構造みたいなのが描かれていた。
デジタルで解析して初めて浮き出るほどの物であるが、デッサンではなく何かふとしたことで話題を描いていたかのような物である。その為か、二人の会話が一層聞こえてきそうなのである。


03−228 03−229
03−228 03−229

裏表紙には絵具がついている。南人子がよく水彩画に使っていた色が残っている。
昭和2年 スケッチ帖を基にして作品を描いているのが、
4月第六回国展「秋郊」「夏の海辺」「海近き村」を出品。


「秋郊」 「夏の海辺」
「秋郊」(図録より転載) 「夏の海辺」(図録より転載)

4月広島県美術展覧会に「雪の朝」を出品。

昭和2年に描いた絵としては「向島有井(03−146)」、前述の「山波村(03−148)」がある。

                      
03−146「向島有井」
03−146「向島有井」


昭和3年 4月第七回国展に「田園夏日」「海辺(曇)」を出品。
この絵は色彩が非常に濃く鮮やかだ。山の緑、水路に写る空の青、田畑の黄緑、青で表現した瓦屋根、オレンジ色を使った藁葺きの屋根など、反対色を用いて非常に力強く鮮やかな色彩である。


「海辺(曇)」
「海辺(曇)」(図録より転載)

構図と心の内
現在の西富浜の橋から土井山を見て描いたのだろう。
南人子の横一列の雲の描き方に注目したい。描かれた作品の色は実に鮮明で爽やかに描写され、それは空の領域が多い作品ほど来世への思いが強いと言うゴッホの言葉を借りれば、それもまたうなづける作品となっている。
カメラのレンズで言うと南人子の作品は35ミリのレンズで写したものに近く、通常写真家はこのレンズを、自然体で穏やかな空間を表現するときに使用する。
一方の和作は200ミリの中望遠レンズで写したものに近く、画面上にほとんど空がない。これは少しの緊張感と構図を意識した場合に写真家は多用する。そして風景の細部をはぶき、見せたいテーマに絞り込む際にも使用する技法である。和作の生き抜くという意思の表れを表現するにはもっとも効果的な方法で、南人子においても同様で、その画角は穏やかで、見たもの感じたもの全てを情感で表現するにはもっとも適切なものなのである。
余談であるが、和作が晩年写真によって風景を残す作業をしきりにしている。
やはり彼が選んだレンズは全て中望遠であった。
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