平田玉蘊>エピソード
「常盤雪行 孤を抱く図」・・・
玉蘊の心の柱となる言葉だったのだろうか。
前へ  次へ
平田玉蘊 父五峯の死後、玉蘊の絵に賛詩した「常盤雪行 孤を抱く図」が残っている。
玉蘊が描いた常盤御前は、幼い今若、乙若、牛若の三児を連れて雪の山中を逃れる姿である。
左右の袂で今若、乙若の頭を覆い、のちに義経となる牛若を懐に入れて裸足で雪の中を歩む常盤御前の細い足首が痛々しい。よく描かれる月並みな画題と言えばそれまでだが、牛若を抱いている常盤御前の胸元には涼やかで凛とした雰囲気がにじみでている。父を失ったのち「母を奉じ画をもって業と」して自活しようとする玉蘊の心意気と見るのは考えすぎだろうか。そんな玉蘊に茶山は、こんな賛詩を書いた。

   常盤雪行 孤を抱く図     菅茶山
潜行犯暗雲漫空 潜行し暗きを犯せば 雪は空に漫なり
家国存亡在此中 家国の存亡 此の中に在り
小弟啼飢兄泣凍 小弟は飢えに啼き 兄は凍えに泣く
誰知他日並英雄 誰か知る 他日並びて英雄となるを
(『黄葉夕陽村舎詩』巻八)  
 
【闇をぬってしのんで行くと、雪が空いっぱいに降ってくる。源家の存亡はこの幼い兄弟にかかっている。しかし弟は飢えに泣き、兄と凍えに泣いている。このいとけなき兄弟が、将来ともに英雄になるとは誰が分かることだろう】

――若いときに苦労するのは、いいんだよ。いまが頑張り時だ。
茶山は、こう玉蘊を励ましたかったのだろう。

父を失った玉蘊に、茶山は同情した。竹原の春風も胸を痛めたことだろう。芸備の文化人にとって、庇護者を失った玉蘊の生き方は無関心ではすまなかったはずだ。
――父五峯に代わって玉蘊の力になってやりたい。

そんな気配りが、玉蘊に頼山陽との運命の出会いをもたらす。(上掲書)

前へ  次へ