中村 琢二 なかむら たくじ
尾道水道の印象 おのみちすいどうのいんしょう
昭和53(1978)年  油彩・カンヴァス  69.9×162.4㎝ 
 
中村琢二は、少なからず尾道と縁があった画家でした。少年期に始まり、晩年には公募展「絵のまち尾道四季展」で審査員を務めるなど、生涯に渡って度々訪れた場所でした。また、絶筆となった作品も「尾道」という題の作品でした。
「尾道水道の印象」は、晩年期の作品で、美術館南側の除虫菊畑から望んだ風景画です。しかし、ここからは、千光寺山が邪魔をして、この作品のような景色は望めません。中村琢二は、複数の地点から尾道水道を望んで、タイトルどおり画家自身が抱く尾道のイメージを描いたのです。それは、同時に鑑賞者の誰もがイメージする尾道の風景でもあります。
 
明治30(1897)年 新潟県に生まれる。中村家は福岡県宗像郡(現宗像市)で代々庄屋を務め、当時、父啓次郎は、佐渡御料局鉱山学校教授であった。後に住友本店の技師長となる。 兄研一は、官展系の指導者的作家として活躍した洋画家である。
明治32(1899)年 住友合資会社別子鉱業所に赴任する父に伴い、愛媛県新居浜市に移る。
大正10(1923)年 東京帝国大学(現東京大学)経済学部に入学。(大正13年卒業)
昭和3 (1928)年 兄の勧めで、本格的に絵を描くようになる。
昭和5 (1930)年 第17回二科展に「材木座風景」を出品し、初入選する。安井曾太郎に師事する。
昭和12(1937)年 第1回一水会展に「母と子」等を出品。
昭和14(1939)年 第3回一水会展に「母と子」等を出品し、一水会賞を受賞。
昭和16(1941)年 第4回新文展に「女集まる」が入選し、特選を受賞。
昭和29(1954)年 第4回昭和28年度芸術選奨文部大臣賞受賞。
昭和38(1963)年 第19回日本芸術院賞受賞。
昭和40(1965)年 紺綬褒章授章。
昭和51(1976)年 勲四等旭日章授章。
昭和56(1981)年 日本芸術院会員に推挙される。
昭和59(1984)年 第1回絵のまち尾道四季展の審査員を務める。
昭和63(1988)年 1月31日、逝去。