森谷 南人子 もりたに なんじんし
いちご
昭和16(1941)年3月7日   水彩・紙 33.5×24.2㎝
 
日本画家であった森谷南人子は、大正期に本名の森谷利喜雄の名前で、木版画の制作を本格的に活動していました。その他では、戦後に風呂敷や手ぬぐいのデザイン画を描いています。これらは、木版画制作とは違い、余技的なものといえます。陶器の絵付けもこの部類で、花などの静物画が多いようです。現存する陶器の絵付けは昭和35年頃の確認されており、「紫蘭」もこの頃の制作なのかも知れません。コレクションの水彩画・素描のコーナーで、森谷南人子の素描を紹介していますが、日々描いていた素描が、このような絵付けの原画になったことがうかがえます。
 
明治22(1889)年 岡山県小田郡(現笠岡市)に生まれる。本名利喜雄(りきお)。
明治27(1894)年 神戸市に転居。神戸市立尋常小学校時代に上級生だった村上華岳
(当時は武田震一)と親交を結ぶ。
明治38(1905)年 京都市立美術工芸学校入学。
明治42(1909)年 同校卒業。京都市立絵画専門学校入学。
大正 5(1916)年 岡山県笠岡市に転居。
大正 7(1918)年 第1回国画創作協会展に「快晴」が選外となる。
大正 9(1920)年 尾道市に転居。
大正15(1926)年 国画創作協会会友に推挙される。
昭和 3(1928)年 国画創作協会日本画部解散。新樹社の設立に参加。
昭和 5(1930)年 第11回帝展に「苗代田」が入選。(以後、昭和13年の第2回新文展まで入選。)
昭和 7(1932)年 第11回日本南画院展に「暮秋野色」が入選。(昭和10年第14回展まで)
昭和24(1949)年 広島県美術展審査員となる。
昭和32(1957)年 尾道市美術展審査員となる。
昭和55(1980)年 尾道市立美術館で「画業75年森谷南人子展」が開催される。
昭和56(1981)年 3月11日に逝去。