皆川 月華
みながわ げっか
渦潮 うずしお
昭和52(1977)年 染彩  184.0×141.0㎝  第9回日展
 
代々医師の家系に生まれた皆川月華は、19歳で京都の伝統工芸である染織の世界に入りました。大正期は、美術全般において個を主張する時代でした。月華も、植物染料の研究に加えて、日本画や洋画を学んで、独自の表現を生み出そうとしました。「渦潮」は、晩年の作品です。多くの染織作品に見られるような図案的なものではなく絵画的な表現といえるでしょう。この絵画的な表現は、晩年に始まったわけではなく、昭和初期に初入選した帝展からのものでした。月華は、初期の頃から工芸を「用の美」としてではなく「鑑賞の美」として捉えていたのです。ちなみに、息子の皆川泰蔵も工芸作家となり、二人とも祇園山鉾の掛物を制作しました。
 
明治25(1892)年 京都市に生まれる。本名は秀一。
明治44(1911)年 安田翠仙に友禅などの染色図案を師事する。
大正 4(1915)年 このころから月華の号を名のる。
大正 6(1917)年 都路華香に師事し日本画を学ぶ。同時に関西美術院で洋画を学ぶ。
昭和 2(1927)年 第8回帝展で「富貴霊獣文」が初入選。
昭和 7(1932)年 第13回帝展で「山海図」が特選を受賞。
昭和35(1960)年 日本芸術院賞を受賞。
昭和46(1971)年 京都府から美術工芸功労賞を受賞。日展参与となる。
昭和47(1972)年 京都市から文化功労賞を受賞。
昭和48(1973)年 勲三等瑞宝章を授章。
昭和62(1987)年 逝去。