小林和作>エピソード
大成した和作、その作品(1)
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小林和作
金光図書館前にて 11月 郷土画壇への貢献により中国新聞社から第九回中国文化賞を受ける。
 
※金光図書館前にて
前列右から2番目が小林和作、右隣、須田国太郎
(小林和作と美の交遊展図録より転載)


昭和28年 和作の画業は頂点に達する。その春に南人子と愛媛県佐田岬に旅行に行く。
→本ホームページ「画業を貫いた南人子の晩年」参照
10月 芸術選奨文部大臣賞受賞。
尾道ロータリークラブ名誉会員となる。
秋に妻敏子と新潟、八ヶ岳、妙高高原をスケッチ旅行する。
この頃、午前中はアトリエでラジオをつけっぱなしで制作し、 午後は訪問客との応対、夕方から必ず毎日、尾道の町を歩き、 映画鑑賞や小野との碁を楽しんだ。

「初冬の山」
「初冬の山」(図録より転載)
この年、東京物語公開。
だが和作は小津作品は観ず、森繁久弥の社長もの、木下恵介作品、などをよく観ていた。ひいきの女優は清川虹子で、ブロマイドを多量に送ってもらったりしていた。
この年、「初冬の山」を制作。



10月、東京京橋中央公論社画廊で小林和作油絵展開催。
室戸岬、秋の山、海、出品
独立展には妙高高原赤倉山中の1景を描いた。
その直後に、一連の制作活動に対して芸術選奨文部大臣賞受賞。現役画家としてゆるぎない地位を確立。
60を半ばを超えて流行画家となる。
和作は精力的に描く。
外部より「和作ではない多作だ」と表現される。
一貫して、花鳥風月に代表される日本人の精神的風土を油彩という
西洋的な材料で表現してみせた。
昭和29年 春、宮崎、鹿児島の海岸を旅行し、写生する。
5月、第一回現代日本美術展に「秋山早雪」「秋山」を出品する。
和作の芸術が完全に開花したことを示すような作品である。
秋、九州へ旅行して、九重山より阿蘇山に登った。
「美術手帖」12月号の「作家訪問」で須田国太郎が小林和作の人と芸術を論じている。


「海」「水溜りと海」を第二十二回独立展に出品。

「海」
「海」(広島県所蔵)

「水溜りと海」
「水溜りと海」(尾道市立美術館所蔵)

昭和30年 春、前年と同様宮崎、鹿児島の海岸地方を写生旅行した。
11月 尾道市孔雀荘で小林和作洋画展を開いた。
「通り雨」 「山湖」
「通り雨」(朝日新聞社所蔵) 「山湖」(山口県立美術館所蔵)

昭和31年 4月 島根県大根島に牡丹の写生に行き、
帰途、出雲半島日ノ御碕でスケッチする。
鍋井克之・寺内萬治郎・小林和作新作油絵展が大阪・梅田画廊で開催された。
1月に須田・小林・大林の記念写真あり。「通り雨」「山湖」を第二十三回独立展に出品。

「上高地附近」(図録より転載)
昭和32年 3月東京日本橋・高島屋美術部開設五十周年記念展に「野尻湖」を出品。
秋、長門市の深川萩焼の坂田泥華をたずね、三十数枚の皿などに絵付けし、香月泰男と二枚の大皿に絵付けする。 (「上高地附近」)
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