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小林和作
画室にて制作
画室にて制作 (図録より転載)
小林和作は日本全国の海や山に出かけ水彩画を何枚も書いては自分の家に持ち帰り、構図のいいものを選んで1年から3年かけて油絵に仕上げていった。 アトリエに散らばる下絵が写真にも見られる。

絵では構図が全てだと彼は言っている。

和作の油絵は色が鮮やかで、油絵が乾かぬうちに、(評伝187、210)ナイフで絵具をまぜて重ねていったので風景を大胆にデフォルメしたように見える。
その反対に水彩画はタッチも繊細で、海の波や山の樹々まで細かく書いている。
風景をそのまま写したような克明な絵になっている。
その水彩画でさえ、和作は風景の中に構図を探してスケッチを続けたのである。

「絵はかくことも大切であるが、その前に構図や絵になる素材を求めることがさらに大切である。
美しいものを見出すのは能力であるが、その人の運であるとも思える。
しかし絶えず注意深く美しいものを求めて歩く人は、よほどの不運ではない限り、いつかは求めるものに遭うものである。私は元来、美しくないものはどう上手にかいても美しい絵にならないと思う。私はそんな意味で、構図やモチーフには他の人よりも多く苦心する。
あるいはそれが一枚の絵の運命を定め、さらにそれらが積もり積もってその画家の一生の運を定めることにもなり得る。しかし何が美しいかも大いに問題であるが、とにかく美しいものか、強く心を打つものを根気よく捜し求めて、それを磨き上げて画面に置くことはきわめて大切である。」(評伝154・「私の生活と信条」より)

風景の中に美しい構図を見つけて、その場面を切り取ったような描き方である。
例えば大山の水彩画が10種類あって一枚だけ油絵であるとすると、10種類の水彩画はどれも似通っているが少しずつ構図が違い、その10種類を混ぜて描くのではなく、その中の一枚だけを自宅に戻ってから忠実に油絵にしている。
昭和25年ごろには、1ヶ月に200枚の風景スケッチを描いていた。
だが油絵にしたいと思えるものは何十枚に2、3枚の割であった。
その場では気分が高揚しているので良い絵になると思っても、自宅に帰ると色褪せてしまうからである。
もちろん失望も強かった。亡くなるまでこの失望感を克服するため、努力をしていたと放送作家の高橋玄洋氏は語っている。
構図について和作は言う。
「つまり私は構図という青い鳥をいつまでも捜し廻る一人のさ迷える日本人である。チルチル・ミチルは子どもだから良かったが、白髪の私がいつまでも青い鳥を捜すのは、悲惨であるが、これが私の宿命であろう」(評伝184「構図」)

例:下絵(01−235、289、322、411、434)、油絵「伯耆の大山(01−438)」「伯耆大山の春(01−519)


01−235 01−289
01−235 01−289
01−322 01−411
01−322 01−411
01−434
01−434


01−438油絵「伯耆の大山」 小林和作 画像
01−438油絵「伯耆の大山」 (水彩より転載)

01−519油絵「伯耆大山の春」 小林和作 画像
01−519油絵「伯耆大山の春」 (水彩より転載)
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