森谷南人子>エピソード
手紙に替えて(ニ)
青木 呆然(茂)
前へ
森谷南人子 森谷様
 絵画を描いた経験を持たず、美術批評の知識を弁へぬ私は、貴方のお作に対する、専門的批評をしようとなどとは夢にも思はぬ事ですけれども、素裸体の心で、お作の奥に流れている生命n直面し、そうして相触れた心の記録だけは掴む事ができます。
 あの時アトリエでも申しました様に、取つ付きは親しみ難い絵であり乍ら、噛みしめて見れば、尽きない味が滲み出るのは、あの「早春」です。春とは言へどまだ、冬の衣の淡く重ねられた自然は、妙にかさかさして、うるほうが足りない(これは会員の批評だそうですが)のが、ぶつ切らぼうなやうではありますが、何んだか考へさせられます。今度のお作の静かさとは、全然趣きを別にした、静かさのうちにもつきつめた、針を刺されるような感じです。
 特にあの畑の中に現はれる人物も、笠岡でお描きになったのと、それ以後の作とを比べると、全然異った世界が示されています「早春」の中の、畑中の一人物の、あの静かにつきつめた顔を見ていると、私は恐しくさへなりました。そうして又恥かしくもなりました。それでいて非常に懐かしめる暖かさがあります。平凡な言葉で言へば、霊の底を凝視しつつ、自分の世界を創造せんとする、孤独の悩みが味えます。それでいて、訪れて来る人の心には扉を開いて、語ろうとするやうでもありますが、其の底の底は矢張り孤独です。でも其の前作の二人の人物は、その孤独のうちにも人懐こい、心の衣を脱ぎとった、親しい寄り添ひが、画面を柔らかにしています。殆んど添えものに過ぎぬ程度に現はれた人物が、常に大きな力を其の絵に与へている事を見て、私は其等の人物を大変に懐かしく感じます。
 来春御出品なさる為めに、現在お描きになっているのは、未完のものではありますが、既往の何れの作よりも、優れていると私は思います。あの構図により入れられた自然は、私のよく散歩しつつ眺める処なので、一層のなつかしさを以って眺めましたが、私はああまで、自然に親しみを投げかけていられる、芸術家の心の世界を、尊敬を以って見つめました。前方の小さな、点々たる農家、それを抱擁するように伸びた樹木、夢に抱かれたような山々それはただただ静寂な自然です。その前景の人物の人物がまだ出来ていないのは、大きな心残りでした。お作が完成したら是非もう一度見せて頂きたい事をお願いいたします。
 「貴方の独居雑筆を毎日楽しんで読んでいます」という最後のお言葉は、私を大変に喜ばせました。或る人々からは、嘲笑を以って読まれている雑筆が、漸く知己を得たのです。お礼の手紙に替えて、喜びと感激に満ちた心を、筆にいたしました。御自愛を祈ります。
末 筆 乍 ら 奥 様 に も 宜 敷 く お 伝 え 下 さ い 。
――原文のまま
(元尾道短期大学教授,「新修尾道市史」編著者)
前へ