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人間 森谷南人子
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森谷南人子
03−237
03−237
大正9年11月16日から大正10年5月ごろまでの絵がある。
尾道の絵はいずれも尾道らしさよりも笠岡と似たようなモチーフである。
大正11年 7月第一作家同盟の創立にあたり、盟員になる。
第一回作家同盟展に「風景」を出展。
同年3月に林芙美子が尾道高等女学校を卒業(18歳)この時期、尾道ゆかりの作家が同じ街に暮らしていたのである。
大正12年 スケッチ帖(3)がある。
表紙に「尾道市長江町三丁目 森谷利喜雄」とサインがある。
裏表紙には墨文字で「母校、諸先生」などと殴り書きしてある。
このスケッチ帖には今までに無いデザイン的なものが出てくる。
スケッチ帖(3)−2(03−237)

03−246
03−246
スケッチ帖(3)−11(03−246)女性ばかりを描いている。
日本画風に髪を結った女性やお下げの少女。まるで西洋の「水がめを担いだ裸婦」
のような絵である。


スケッチ帖(3)−13(03−248)にある言葉。
「ねェ、おかあさん、土用の中端に秋風が吹くと申しますが、しのそよそよとした風はほんとに」、と書かれ

03−248
03−248
その次はたぶん川柳だろう。
「夏の女=行水の女を横目ですけべ顔・しらぬ顔」とあり。
女性関連のことが全く出てこなかった南人子の唯一の色心ではないか?
このスケッチから有名な尾道の風景が出てくる。


(スケッチ(3)-18(03−253))千光山から見た現在の尾道大橋あたりの風景。
03−253
03−253


03−261
03−261

千光山より小歌島方面の向島。
向島の民家ごしに見た尾道水道。
向島=スケッチ(3)−26(03−261)(海辺に大きな工場の高い煙突が見える)
6月3日にスケッチ(3)−29(03−264)を描いているが、

03−264
03−264

浄土寺附近から見た尾道水道東向きと西向きスケッチ(3)−34(03−269)
03−269
03−269

特にこの日は久保町あたりから見た風景や山波附近にも移動して描いている。
スケッチ(3)−36(03−271)、37(03−272)
03−271 03−272
03−271 03−272
03−270
03−270
その他スケッチ(3)−35(03−270)には海辺の道に自転車に乗った人物が描かれている。東京物語に出てくる甍(いらか)の風景に似ている。
山波の風景は後に南人子の「桃花処々」の題材となる村である。


03−273
03−273


スケッチ(3)−38(03−273)お皿に乗った苺。


39(03−274)には長江通りより見た千光山の風景。
中腹に千光寺・鐘つき堂や天寧寺の三重塔が見える。
ここだけブルーのインクで描かれている。


03−274
03−274


このノートの絵に共通して言えるのは、一つ前のスケッチ帖(4)の絵は寒い時期に描いているせいもあると思うが、初夏に描いているスケッチ(3)は色使いが非常に伸びやかで温かく、京都時代の水彩画に通じる非常に優しい色使いである。
これは尾道に来て三年ほど経っているので、足を延ばしてスケッチしていたのかもしれない。
和作は尾道に来てから作風が優しくなったと評されているところから、
尾道は人を癒すなにかがあったのだろうか。
和作をはじめ、多くの作家がそうであったように、南人子もここ尾道の空間に癒され、悟されいっそう情感的に成って来たのではないだろうか。

色紙頒布会を考え公募した文章の下書き

スケッチ帖(3)−41(03−276)


03−276
03−276
この度、私は左記契約によりまして色紙頒布会を起こしました。
皆々様のふるって御入会くださることを希望いたします。
私の芸術に付きましては、この度では何も申しませんが、しかし御入会くださいます方は私を信じて頂きたく思います。
御好意は無駄にしない考えですから。 以上。
   大正十二年二月
     森谷南人子
○ 画題は主として風景。
○ おわけする絵は別仕立て紙本大型色紙(八寸、九寸)
○ 毎月一枚ずつおわけして、六枚で完結。
最後、筆者装丁の色紙づつみを添えます。
○ 会費は二十円。
御入会の前金額求は前半額頂きます。残額は随時頂きます。
○ 申込所は左記
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